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基本情報

 

 

1.面積 156万4,100平方キロメートル(日本の約4倍)
2.人口 281万1,600人(2011年,モンゴル国家統計委員会(以下「NSC」))
3.首都 ウランバートル(人口128万7,100人)(2011年,NSC)
4.民族 モンゴル人(全体の95%)及びカザフ人等
5.言語 モンゴル語(国家公用語),カザフ語
6.宗教 チベット仏教等(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)

 

 

 

衛生・医療

 

モンゴル国は北アジアのモンゴル高原に位置し,首都ウランバートル市は,紫外線の影響を強く受ける海抜1,351メートルの高地にあります。季節ごとや昼夜の気温の較差が大きく降水量の少ない,典型的な大陸性気候です。2011年のウランバートル市のデータでは,1月の最低気温がマイナス 32.5℃で,夏(6~8月)でも最低気温が5℃まで下がります。最も少ない地域の年間降水量は100ミリ強で,平均湿度は50~70%にとどまります。ウランバートル市では最近,自動車の排気ガス,火力発電やゲル住居のストーブからの煙などが原因と見られる,冬期の大気汚染が深刻化しています。このため,脱水,日焼け・日射病,凍傷・低体温症,呼吸器疾患,脳血管疾患,循環器疾患等への注意が必要です。

 モンゴル国民は,原則的にまず家庭医院・地区病院を受診後,必要に応じて専門病院または総合病院に紹介される保健医療体制になっていますが,邦人の場合は,国立の総合病院や専門病院を直接受診することが可能です。ただし,日本と同じ医療対応を期待することはできず,邦人の受診は,やむを得ない場合に限られます。重症例で手術や高度な治療・検査等が必要となった場合は,可能な限り国外へ移送することが望まれます。その際には数百万円を超える経費が発生するので,緊急移送を含む海外旅行保険(クレジットカード付帯の旅行保険は,期間,補償対象・限度額等について十分確認してください)への加入を強く勧めます。公共の救急車(電話103)も利用できますが,モンゴル語しか通じず,到着に時間がかかることもあり,同乗した医師が現場で処置して搬送されなかったり,希望の病院に搬送されなかったりする等の問題もあるので,容態が許せば,自家用車やタクシーで病院に移動する方がよいでしょう。

 日本で処方されている医薬品と同じ成分・効能・品質の薬剤を,モンゴルで入手することは容易ではありません。保健省が薬剤購入先として勧める,比較的信頼性の高い大きな薬局でも,薬剤の種類は多くありません。常用薬や発作・緊急時の医薬品は,日本の医療機関で十分な量を処方してもらい,持参することが重要です。ワクチンについても,渡航前か日本への一時帰国時などに接種を完了してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砂漠化問題

 

内モンゴルでは、1960年頃から砂漠化が急速に進行しています。内モンゴル自治区の使用可能な草原の面積は、1960年の82万k㎡から、1999年には38万k㎡に減少しました。

砂漠化の原因

流動砂丘が連なる
 
豊かな森が残る自然保護区
 
要因Ⅰ-社会背景
1949年に成立した新中国は、定着型の農耕と牧畜を進めました。やがて食糧増産の必要から、内モンゴルへの漢民族の移住が始まり、人口は爆発的に増加しました(1k㎡当り:'53年5.0人→'83年16.3人)。
そして、社会変化に伴う生活形態の変化や人口増加は、過剰な土地利用を生み出しました。

要因Ⅱ-自然条件
中国北方はかつて海や湖があったことから、草原の下には砂が堆積しています。そのため植生が破壊し表土が剥がれると、砂の層が表出します。土地は保水力を失い乾燥し、地域特有の強風に砂が流されます。砂丘が形成され流動がおこり、砂漠化が加速する―これがこの地域の砂漠化のしくみです。

こうして内モンゴルでは、土地の再生能力を超えた過剰な開墾・放牧を原因に、砂漠化が進んでいます。

一方、開発から守られた自然保護区では、今も豊かな森が残されています。このことからも、砂漠化が人間の活動を背景に引き起こされたものだとわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ストリートチルドレン

 

 

社会主義時代のモンゴルは計画経済の下で完備した社会福祉制度、学校制度を持ち、子どもたちは高校または職業学校を卒業するまで国の手厚い保護の中で暮らしていました。また完全雇用制度は福祉政策とともに家族に安定した生活を保障していました。   
 しかし1990年の民主革命と市場経済制度の導入がモンゴル社会を一変させました。社会主義下の国営工場・商店が全面的に解体されるとともに、家畜や国有財産の個人所有化が突然推し進められ、新しい経済制度に不慣れな人々は自由競争の荒波に投げ込まれて、瞬く間に失業者の群れと貧富の差の途方も無い格差が生み出されました。また牧畜を支える地方のインフラが機能を停止したことと2000年前後の大冷害が牧民を直撃し、疲弊した人々は職を求めて大都市に押し寄せ都市郊外に巨大な貧困地帯(ゲル地帯)を作りだしました。アルコール、家庭内暴力、養育放棄、刹那的な結婚(母子家庭)は多くの子どもたちを路上に放り出し、90年代前半にはストリートチルドレンの数が4000人にも達しました。現在では、児童数は減少しましたが、ウランバートルで約1,200人がNGO施設で養育され、他に数百名程度が放置児童として存在するといわれています。

 これに対する政府の政策は社会主義以来の伝統的な年金・手当の支給が中心で、その額も十分とはいえず、なおかつ貧しい大人たちはこの手当金に頼って生活している状態です。 
 義務教育は無料ですが、教科書代、通学服、学校行事にまつわる諸費用を負担できない家庭が多く、子どもたちの学校からの脱落(ドロップアウト)が大きな問題となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

移住問題

 

モンゴルは元来遊牧民の国なので人々は気軽に移動します。地方からウランバートルへの移住は1960年ごろから始まり、それが本格化したのは1990年の民主革命以降です。その上、2000年前後の大冷害が遊牧民に都市移住を促し、1990年の人口59万人が15年後の2005年には100万人(公式統計)に達しました。しかし実際には120万人がおり、そのうち50万人(12万6千世帯)はゲル地域に住んでいるといわれています。移住してきた人々は郊外に巨大な集落を作り、それが拡大して今では首都がゲルによって取り囲まれた状態になっています。

ゲルは遊牧民特有の丸い移動式テントで、設置も解体も簡単。中央に置いたストーブが炊事、暖房の中心になります。ゲル地域の生活は外国人が考えるほど不便とは言えませんが、電気・上下水道はなく、水はキオスクから買い、排出する汚物は外に放置します(乾燥寒冷地なので、悪臭や衛生上の問題は大きくないらしい)。風呂は社会主義時代からの公営シャワーステーションで済まします。しかし、日常活は依然苦しく、失業、貧困が原因の飲酒、家庭内暴力、養育放棄などが児童問題発生の原因となっています。その上1軒の年間石炭消費量は約5トンと推定され、盆地状のウランバートル市の大気汚染の最大の原因です。

2003年の土地私有法施行以来、この地域の人々は木材やレンガを用いて、器用に自力で簡単な家を建て始めました。しかし建物がかわっただけで、生活様式は変わりません。市当局はさしあたり4万戸のアパートを建てて彼らを住まわせる考えですが、土地収用法やローンのもとになる担保関係の法律の整備、それに上下水道、電気(発電所が要る)の事前整備などのためにかなり時間がかかりそうです。

モンゴルの現状

モンゴル

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衛生・医療
砂漠化
移住問題
さんしょう

写真引用 ストリートチルドレン:http://ets-org.sakura.ne.jp/sblo_files/painting/image/_MG_0384a.jpg

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