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 この梵鐘、鐘堂は広島の悲願に立って、すべての核兵器と戦争のない、まことの平和共存の世界を達成することをめざし、その精神文化運動のシンボルとしてつくりました。

 この梵鐘、梵堂は平和を願う万人の心と浄財を結晶させてつくりました。

 この鐘の音を、広島から、世界のすみずみまでひびきわたらせ、全人類の1人ひとりの心にしみわたらせることを願っております。

 この趣旨、目的を御理解の上、平和への願いをこめておつき下さい。

平和の鐘

1945年8月6日午前8時15分、人類史上初の原子爆弾が、アメリカによって広島に投下されました。

 

当時、広島には約35万人の市民や軍人がいました。

1945年12月末までに約14万人が死亡したと推計されています。

 

原子爆弾の恐ろしいところは、被害が一瞬のものではなく、世代を超えてのものになってしまうことです。

原子爆弾からは大量の放射線が放出され、原爆投下時、またまもなくの時に広島市にいた人々の身体に障害を及ぼしました。

その放射能は原子爆弾投下後に降った黒い雨にも含まれていました。

 

 

 

相生橋は広島市の中央を流れる太田川が分岐する地点にかけられたT字型の橋。この変わった形は上空からでもよくわかるため、目標に選ばれた。

相生橋

アメリカ軍は広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原子爆弾を投下しようと決めていました。

その中で広島が選ばれた理由は、その目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないためでした。

また、都市の大きさや山に囲まれた地形が原爆の破壊力を探るのに適しており、広島はまだ空襲を受けておらず、原爆の威力を確認しやすかった という理由もあります。

そして、広島には軍隊、軍事施設、軍需工場が集中しており、それらがまだ破壊されずに残っていました。

 

8月6日、広島の天気は晴れ。広島の運命は決まりました。

 

原爆の使用について、「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと決められました。これに対し開発に携わった科学者の一部は、無警告の原爆投下に反対しました。
 

 

 

 

 

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