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沖縄は太平洋戦争中の日本で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われた場所である。

この地上戦は1945年3月23日、アメリカ軍が沖縄に襲撃して始まった。

同年4月1日には、沖縄本島北谷町に上陸した。

沖縄の日本軍兵力はアメリカの4分の1で武器も旧式であった。

 

当時、アメリカ兵はとても残酷で恐ろしい人だと教えられていた。

そのため、降参して捕まるよりは自決したほうが良いと考え、集団自決が多発した。

日本軍から手りゅう弾が渡され、それで死ねなかったら、親・兄弟で殺しあった。

降参して出て行こうとすると後ろから日本軍に殺される。

ガマに避難してしていると日本兵が来て、爆弾が雨のように降る外に追い出される。

子供が泣き止まなかったら母親に殺せと言う。

 

持久戦になった理由は、沖縄をアメリカ軍に攻略されると本土に上陸されてしまうからだ。

日本軍の司令部は首里城の下につくられていた。文化遺産の下ならアメリカ軍も攻撃をためらうと思ったのであろう。そのため、住民は首里にいけば日本軍が守ってくれると思い南を目指し避難していく。しかしそれを見越したアメリカ軍もどんどん南下していく。

そして首里の司令部が攻略される。

この時点で日本軍の負けは分かっていたのだ。本来ならここで沖縄戦は終わるはずだったが、

日本人、アメリカ軍はさらに南に移動して持久戦を続けた。

そこにはすでに20万人の住民が避難していた。

 

そして6月23日牛島長官が自決。(この日は沖縄の終戦記念日になっている。)

7月2日、アメリカ軍が沖縄戦の終了を宣言する。

 

沖縄戦では人口のおよそ4分の1である12万人が死んだ。

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